国際協力TeamBEKO
赤ベコで世界を平和に!
赤ベコ伝説
2011年、東日本大震災による福島原発事故後は復興のシンボルとなりました。なぜ赤ベコが復興のシンボルになったのでしょうか? 今から600年くらい前に会津地方で地震があり円城寺を言うお寺が倒壊してしまいました。再建しようと材木が集められましたが、過酷な労働に、荷物を運ぶ牛たちが途中で命を落とします。その時赤毛の牛がやってきて、荷物を運び、お寺は無事に再建したという伝説があります。
張り子の玩具は、蒲生氏郷が、1590年に会津藩主になり、城下町の開発に力を注ぎました。下級武士の内職として京都から張り子職人を招いて、技術を習得したのが会津張り子といわれ、先述した赤ベコ伝説から赤ベコが張り子として作られました。
当時天然痘が流行しており、子どもたちを病気から守るために、縁起のいいものということで赤ベコが選ばれ、黒いぶちは天然痘のかさぶたを意味しており、こどもたちのかわりに張り子の赤ベコが重荷を背負うという意味があるそうです。 赤ベコが、東日本大震災からの復興のシンボルとして選ばれたのも納得ができます。
赤ベコがイラクへ
福島原発事故、福島入りして支援活動にあたっていた佐藤真紀は、赤ベコにほれ込みます。イラクの小児がんの」子どもたちの支援を怠ることもできず、福島の復興のために赤ベコをたくさん買い込んでイラクの子どもたちにプレゼントすることにしました。 特に赤ベコのコンセプトである無病息災は、がんの子どもたちが早く治ってほしいという想いを伝えるのにもってこいでした。またそのころシリアで内戦が始まり、シリア難民の子どもたちにも赤ベコをプレゼントしました。
サカベコの誕生
イラクやシリア難民の子どもたちはサッカーが大すきです。そこで、もっと喜んでもらいたいと赤ベコをサッカーのユニフォームに塗り替えました。
おりしも2015年のアジアカップでは、日本とイラク、ヨルダン、パレスチナが同じ組で戦うことになりました。日本のサッカー中継は、残念ながら対戦国は敵として扱われあまりリスペクトされません。そこで、JICAにも協力してもらって、対戦する国の子どもたちに、「サカベコ」(サッカー+ベコの意味)を作り、展示して、その国のことをもっと知ってもらおうという企画を作りました。「アジアカップ、対戦国を知って平和を応援しよう」がそれで、福島駅構内や、二本松市役所、郡山の駅ビルで展示。日本チームは、会津の小学生や、会津に避難しているおじいちゃんおばあちゃんに作ってもらいました。
私たちTeam Bekoは、赤ベコ伝説にあやかり、2018年、シリアに赤ベコを持っていき、小児がんの子どもたちにプレゼントしました。 シリアの平和と復興のために、この赤ベコをアイコンに使いながら、活動していこうと立ち上がったのがチームベコです。
サカベコづくりに挑戦
coming soon